「温故知新」から「温故創新」へ―変革の時代の『論語』の読み方
「子曰、温故而知新、可以為師矣」
「故きを温ねて新しきを知る、以って師と為るべし」
「先生がおっしゃった。古くからの教えを学び、そこに新しい解釈を得るのがよい。それができれば人を教える師となることができる。」
これは2500年前孔子が学問の仕方で大切にすべきことを弟子に説いた言葉であり、過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらけ、と説いたものです。それから時は流れ、福田総理(当時)は2007年12月に訪中、山東省の孔子廟を訪れた際、「温故創新」と揮毫しました。
「創新」とは中国語で“イノベーション”のこと。近年コンピュータやIT技術の急速な発達により、あらゆる面の変化や進化のスピードはまさに「日進月歩」という言葉がぴったり。今や、時代は政治や経営、科学といった分野を問わず、あらゆる組織のリーダーには、古くからの教えに学び新しい知識や見解を啓くことはもちろん、そのうえで新しいものを作り出すことが求められています。
『論語』は、原稿用紙にしてわずか三十数枚にしか過ぎない短い本で、古い時代の中国語で書かれているため、色々な解釈がなされ、様々な人々によって取り上げられてきました。それはその中に「時代が変わっても変化しない人間と人間社会の本質」が描かれているからです。だから如何なる時代にあっても廃れることなく教養書として読み継がれてきました。
『論語』は、経営者にとっての一つの経典でもあり、望まれるリーダー論について書かれたものが数多くあります。その代表的なものとして、明治から昭和にかけて傑出した実業家として活躍した渋沢栄一が大正の初めに著した『論語と算盤』が有名ですが、そのタイトルは渋沢が主張した「利潤と道徳を調和させる決意」である「義利合一説」を一言で表したものです。「罪は金銭にあらず」とし、金銭を卑しみ清貧を貴ぶ江戸時代までの日本の儒教道徳を覆し、孔子が説いているのは「道理をもった富貴」であり道義に基づいた手段方法であれば、人々は働く意欲を持ち国は栄える、と説いています。但し、富貴を求める欲望が度を越して、道義にもとる手段方法によるものであるならば、むしろ貧賤の方がよいとも説き、『論語』に拝金主義への暴走を食い止めるブレーキ役も求めています。
また、著名な経営学者ドラッカーの思想には、儒教の影響があるといわれています。ドラッカーが組織の「マネジメント」をまとめるにあたり、孔子が唱えた「政」を通底とし、
ある論文の中では『論語』に代表される儒教思想についても述べています。
それを取り持ったのが、渋沢の「義利合一説」が大いに影響を与えたといわれています。「日本資本主義の父(渋沢)」と「現代経営学の父(ドラッカー)」の接点が中国の古典である『論語』であることは大変興味深く、まさに「温故知新」の代表例とも言えましょう。
では、「ムーアの法則」(半導体の性能は約2年で二乗の速さで急速に進歩すること)や「シンギュラリティー」(人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点)といった言葉が、日々飛び交うようになってきた今日、そしてこれから『論語』は廃れてしまうのでしょうか。
「温故創新」とは言ったものの、『論語』の中に新しいテクノロジーを生み出す言葉は、残念ながら見つけることはできません。これから更に飛躍的な進歩が見込まれるAIの世界ですが、それは極論すればコンピュータの「二進法」の延長上にあり、そこには「曖昧さ」や「ひらめき」といった人間の有する知恵を期待することは難しいのではないでしょうか。それこそが人間の「比較優位」ということができましょう。
これからの時代、あらためて『論語』に求められるものは、その読み方が時代と共に柔軟に変化する「曖昧さ」なのではないでしょうか。
例えば、「君子不器」(君子は器ならず)(為政第二-十二)という言葉があります。
「君子は、固定した機械ではない」「専門化・特殊化された技能ではない」等この「器」の意味の解釈には様々な説があります。あるいは「リーダーはジェネラリストたれ」とも、解釈できます。「〇〇の器」という言い方がよく使われるように、何か特定の才能ということで、指導者というのはスペシャリスト(専門技能者)であるよりも、まんべんなくできるゼネラリスト(広範な管理者)であるほうがいい。リーダーに望まれることは、自分でやることではなく人にやらせる能力であり、個々の仕事は部下に任せて、自分はゆったりと全体を見渡す、それがリーダーに求められる条件だ、とも解釈できます。
また孔子はリーダーに求められる資質として、次のようなことも述べて言います。
「君子有九思、 視思明、 聽思聰、 色思温、 貌思恭、 言思忠、 事思敬、 疑思問、 忿思難、 見得思義」(人格者には九つの心掛けがある。物事をはっきり視る事。 人の話は詳細に聞く事。 温和な表情を保つ事。 恭しい態度を保つ事。 誠実に話す事。 慎重に仕事をなす事。 不確かな事は確認する事。 怒る前に後の事を考える事。 利益を得る前に道理に適っているか考える事だ。)
「爲政以德。」(「政」とは、自分が周囲と交わすコミュニケーションのあり方を統御することだ。それは自分の徳を発揮して初めて可能となる。)
Innovationという言葉そのものは、ラテン語を起源とし、in(なかに)とnova(新しくする)とが結びついてできた言葉ですが、イノベーションとは、自らの内面、すなわちものの見方だとか考え方だとか生き方を改めること、と考えられ、なにも“ものづくり”に限ったことではありません。
これまでの世の中は、自分が周囲と交わすコミュニケーションはその手段が限られ、「統御」の機能が働いていました。残念ながら、ドラッカーは、インターネットがコミュニケーションのあり方を根本的に変革する、とまでは考えていましたが、その状況下で組織や個人がとるべき具体的な施策を示すまでには至りませんでした。しかし「学而時習之」(学んで時にこれを習う)ということについてドラッカーは、「フィードバック」という言葉を用いて表現していました。「なされた決定によって出た結果からのフィードバックがなければ、望ましい結果が生み出されることなど、まずありえない」と語っています。
こう考えると、これから先、AI時代の到来を迎えても、『論語』を巡っては様々な解釈が出てきそうです。「人間」(人の世、現世)を見つめる原典として、そして「創新」を生み出すプラットフォームとして、その果たす役割はますます重要になってくるのでないでしょうか。
※本稿執筆にあたっては、主に以下を参考としました。
鹿島茂『渋沢栄一』(Ⅱ論語編)文芸春秋社
佐久協『孔子 論語』NHK出版
安富歩『ドラッカーと論語』東洋新報社
(平山 記)