『暮春の候』
曰:「莫春者,春服既成;冠者五六人,童子六七人,浴乎沂,風乎舞雩,詠而歸。」
夫子喟然歎曰:「吾與點也!」(先進第十一)
「曾皙(せき)が言った。春の終わり頃に春服を着て成人の友人五六人 少年六七人と一緒に沂水に水浴びに出かけて雨乞いの舞台で涼み歌を歌いながら帰りたいです。孔子はこれに感心して、私の願いも同じだ、と。」
やっと春になったと思ったら、時候のあいさつでよく用いられるのは「暮春の候」、清明(4/4)から立夏の前日(5/4)までの春の終わりを表し、暦の上では夏はもうすぐそこといった頃です。一年中で一番過ごしやすいこの季節、待ちに待ったゴールデンウイークまでもう少し、ご家族皆さんで「今年はどう過ごそうか」と、うきうきされている頃だと思います。
季節を表す言葉はほとんど出てこない『論語』ではありますが、俳句にもよく用いられるこの「暮春」という言葉、論語にも登場しています。
ある日、孔子の傍に子路、曽晳(せき)、冉(ぜん)有、公西華の四人の弟子たちがおり、弟子たちとくつろいでよも山話に耽っていた。ふと、孔子は「君たち、いつも寄ると各々將来の進路や夢を話し合っているが、私にも忌憚のない経綸を聞かせてくれないか」ともちかけた。すると子路をはじめ弟子たちは「国家の中枢に入って政治を行い、数年のうちに理想の強国にして見せます」と豪語した。それに対し、ひとり曽晢だけは「そのような政治のことは考えておりません」と答えた。それではなにを望んでいるのかと問われ、上記の様に「ごく平凡な日常生活を送れることが私のささやかな望みでございます」と答え、孔子も頷いた、と伝えられています。
仕事に、学業にと慌ただしい毎日ではありますが、春の日がな一日、家族や友達と集ってのんびりと過ごされるのもよし、はたまた去りゆく春を惜しみ独り「春愁」に浸るのもよし、といったところでしょうか。
(平山 記)